すずしろ

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CIMG0106.jpg春の七草のひとつ「すずしろ」って、どんな植物かご存知ですか?

正解は「大根」。

八百屋さんでは、葉っぱを切り落とされて店頭に並ぶことの多い大根ですが、あの葉っぱの部分が成長すると、こんな可憐な花を咲かせるのです。

葉が少しだけでもついた大根なら、「青首」と呼ばれる部分を1センチ程度切り落としてお皿に載せ、水で満たせばこういう花を咲かせる観賞用植物になるのです。

ちなみに七草のひとつ「すずな」はカブのこと。こちらは黄色い花を咲かせます。

仏の座

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CIMG0062.jpg春の七草のひとつ「仏の座」の花が満開に咲いていました。

ちなみに『春の七草』とは、セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロのこと。

『秋の七草』は観賞用の花が多いですが、『春の七草』は時期を選んで収穫すればすべてが食用になります。正月七日に食べるとされる「七草粥」が有名ですね。

早春の頃は小さな仏様が乗るような葉の形をしていますが、この時期になると、仏様が座る位置からご覧のような花が芽吹いてくるのです。

花見酒

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CIMG0054.jpg「花よりだんご」という人も多いことでしょうが、私はだんぜん「花見の添え物はお酒」・・・いや「お酒の最上のつまみは花」というタイプです。

そこに友との語らいが伴ってくるのですから、『花見酒』ほど素敵なものはありません。

写真は鶴生田川河畔でのお花見。写真奥の公園ではブルーシートが折り重なり、人々が肩を並べて舌鼓を打っていましたが、道を隔てた河畔側が穴場なのです。

CIMG0041.jpg今年は東日本大震災の影響で日本中に自粛ムードが広がり、館林でも「鯉のぼりと桜まつりは中止」という発表が出てしまいました。

「桜まつり」とは鶴生田川河畔に延々と提灯をつるし、夜桜見がしやすいように華やぎをつけるイベントです。

こちらは電力の消費量を抑えようという、明確な狙いがあるのでもっともなことですが、「世界一の鯉のぼりまつり」の自粛は狙いも明確ではなく、ちょっと残念な気がします。

露天商も手持ち無沙汰のようでしたが、この週ばかりはこらんのような大盛況。

上州名物は味噌味の「焼きまんじゅう」。この地では「花よりまんじゅう」というのかしら。

お花見

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CIMG0046.jpg温暖化が叫ばれていますが、今年の館林における桜の満開はちょうど4月10日の日曜日。例年どおりか、むしろちょっと遅そめの桜の開花でした。

館林にもいくつか桜の名所と呼ばれるスポットがありますが、鶴生田川の両岸にある桜並木が、町の中心部に近く駐車場も多いせいか、一番の賑わいを見せているようです。

以前の鶴生田川岸はコンクリートで固められ、根が広がらないため桜の幹が川に向かって傾き、かわいそうな眺めでしたが、川岸が自然を戻るにしたがって桜も元気を取り戻してきました。

桜と菜の花

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CIMG0042.jpg桜と菜の花・・・いかにも春らしい風景ですね。

東日本大震災があって以来、自粛ムードの広がっていた館林。

「今年は館林まつりも中止になるらしいよ」という噂さえ飛び交っていましたが、人の交流や飲食など「通常の経済活動をしてこそ東北への支援になるのだ」という、ごく普通の認識が戻りつつあります。

そして毎年の約束事のように、花は咲いてくれました。

思わぬ余波

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DSCN2164.JPGかき菜がおいしい時期となりました。

ところが福島の原子力発電所の事故により、高崎市のほうれん草とかき菜から微量の放射能が計測され、群馬県は全県画一的に出荷停止となってしまったのです。

わずか6キロ南の埼玉県からは、ほうれん草もかき菜も出荷できるのに、50キロ西の高崎市における計測により、館林の名物が出荷できなくなるとは残念でなりません。

かき菜は葉を折っても、その場所から再び葉が育って来るという生命力あふれる野菜です。

計測された放射能も微量。しかも水洗いすればほとんどが流れ去るというのですから、陽の光をたっぷり浴びて青々と育った「かき菜」を一人寂しく食べようと思っています。

マルちゃん

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NEC_0147.JPGメキシコでカップ麺8割以上のシェアを持つ「マルちゃん」は通用語になりつつあり、これは使用例。

床屋さんで「マルちゃんで頼むよ」。これって早めに仕上げてねという意味なのだそうです。

見学コースの入り口には、世界中で売られている商品が一覧で展示されていました。同じ赤いきつねでも、関東・関西など地域によって微妙に味を変えて作っているのだそうで、運送配達の関係から館林工場は関東と東北を特に受け持っているのだそうです。

ところで、今回の東北・関東大震災におけるマルちゃんの需要も飛び抜けて高く、館林工場は24時間のフル稼働。

地元工場なので私の友人も何人か従事しているのです。残業や休日出勤も多いことでしょうが、被災者のために頑張ってください。

NEC_0149.JPG大震災を予感したわけではありませんが、2月14日に東洋水産館林工場(正式名称は関東工場)を見学してきました。

「東洋水産」という会社名ではピンとこない方もいそうですが、「赤いきつね」と「緑のたぬき」で有名なカップ麺の「マルちゃん」だと表現すると、「ああ、あれを作っている会社ね」と納得する方も多いことでしょう。

東洋水産はアメリカ大陸にも進出していて、メキシコでは素早い・手早いことを「マルちゃん」と表現する通用語にすらなっているのです。

館林工場は赤生田町にて昨年操業を始めたばかり。「なぜ館林に工場を築いたの」ですって?それは、館林にはきつねの尾曳城伝説と、たぬきの分福茶釜伝説があるじゃないですか(笑)いえ、これは工場見学コースに書かれてあった実話です。

浮き立った瓦

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CIMG0008.JPG歴史的な建造物の多い館林なので、そういったものへの被害がどの程度なのか?

子供たちに可能な限り伝え継がなければならないと考え、デジカメを片手に自転車で走り回ってきました。

私が見るところ、建物そのものの倒壊はありませんでしたが、農村部の納屋で二階がズリ落ちそうなものや、多くの民家で屋根瓦の破損が著しいものが数多くありました。

写真は市の中心部にある歴史的な石蔵ですが、屋根瓦がすべて躍りを踊るように浮き上がってしまっています。

後日知ったことですが、館林における唯一の人的被害は「大震災で落ちてきた屋根瓦が頭に当たって」亡くなったというもので、これが大震災による群馬県で唯一の死亡者として報道されました。

大名小路の石塀

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NEC_0142.JPG「大名小路(だいみょうこうじ)」と呼ばれた町並みがあります。かつては大名クラスの武家が住まいを構えていた地域で、その頃からの名残なのか立派な門構えや庭を備えている邸宅が多いので、好みの散歩コースなのです。

ふと「あのあたりにも大谷石の塀があったな」と思いだし、足を伸ばしてみました。

すると、5号道路とまったく同じような状況で石塀が崩壊していました。

大谷石は栃木県大谷町(現・宇都宮市)から産出される軽石凝灰岩(ぎょうかいがん)で、加工がしやすいことから古墳の横穴式石室に使われたというほど古い歴史があります。

近世ではあの「帝国ホテル」の建材として用いられたことで特に名を知られ、明治中期に「大谷石ブーム」が起きました。

これらの大谷石塀は、おそらくそのころの造作なのでしょう。

100年前後の風雪に耐えてきた石塀を一瞬のうちに崩壊させた大地震。その巨大な痕跡は、このようなところにも現れています。

あわわ石塀が

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NEC_0141.JPG大震災の発生ゆえ電気量販店の営業がストップしてしまったので、しかたなく「本屋でも行こうか」と歩き出しました。

写真は館林で「5号道路」と呼ばれる流通の大動脈なのですが、あわわ・・・立派な大谷石による塀が、そのまま道側に倒れて歩道を通せん坊していました。

私はこの場所を通るたびに、「立派で威厳のある塀だなあ。自分もいつかこんな門構えを造りたいものだ」と感心して眺めていたのですが、こんなアクシデントの可能性も秘めていたのですね。

幼稚園生が歩いているときの大地震であれば、大惨事が起きていたかもしれません。幸いにしてこの道でケガをされた方はいないとのこと。不幸中の幸いでした。

ある日突然

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NEC_0138.JPG3月11日午後2時47分、未曾有の大災害をもたらせた東北・関東大震災が起こりました。

館林においての震度は「5」だったようで、これは2004年に起こった「新潟中越地震」のときと同等の大激震だったのです。

私は市内の電気製品量販店で、新しいデジカメを購入しようと店員に説明を受けていたのですが、地震直後おそらくマニュアルがあったのでしょう。店員が一斉に来店者に店外への待避を勧め、誰もいなくなってしまったのです。

残された私は「何だ根性ないなあ」なんてうそぶいていたのですが、棚から商品が、やがて天井から照明具の破片が次々に落ちてくるに至って、店外待避に従いました。

たーてん

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DSCF3756.jpgこちらは『社会福祉法人・館林社会福祉協議会』のイメージキャラクター『たーてん』です。

命名の由来は「館林へ舞い降りた福祉の天使」なのだそうで、館林の「たー」と天使の「てん」から、可愛らしい響きをとったということなのでしょうね。

誕生(というか館林に舞い降りた日時)は、平成22年2月22日午後2時22分22秒といいますから、館林のゆるキャラ観光大使「ぽんちゃん」の少しだけ妹ということになりますね。

この日は大人気で、大勢の子どもたちにまとわりつかれていましたが、観光客の要望により茂林寺のお狸様と3ショットの瞬間がありましたので、シャッターを切りました。

「館林社会福祉協議会とたーてん」のアドレスは以下のとおりです。

http://www5.ocn.ne.jp/~tshakyo/t-index.html

DSCF3760.jpg「ぽんちゃん」とのジャンケンに勝った子は、「ぽんちゃんストラップ」をもらって大喜び。アイコの子は、再度の決着をつけることなく「クリアファイル」を頂いていたようでした。

では負けた子は?可哀想に何ももらえず泣き出す子もいたようでしたが、それだけ「ぽんちゃんグッズ」に愛着があったのでしょうね。

これらは茂林寺門前のおみやげ屋さんで売っていますので、「我が家も当日行けばよかったなあ」と残念がっている方も、「ぽんちゃんグッズ」だけは有料ながらも手に入りますので、少しだけご安心を。

DSCF3751.jpg2月6日に館林市の観光大使である、ゆるキャラ「ぽんちゃん」のお誕生日を祝う会が茂林寺でありました。

ご覧のとおり「ぽんちゃん」は胴体が茶釜、帽子がフタ、髪にツツジの花をあしらうという館林の申し子で、昨年の1月28日分福茶釜の茂林寺で誕生しました。

この日は1歳のお誕生会ということで、大勢の子どもたちがお祝いにかけつけ、ぽんちゃんとジャンケンをしました。

アシスタントを務めてくれたのが、今年度のミス館林フラワーレディーです。

カラーだるま

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DSCF3735.jpg今も昔も子どもたちのお目当ては露天での買い物で、「学校帰りの買い食いなんてみっともないよ」と言っていた母も、お祭り日の買い食いだけはお目こぼししてくれたみたい。

ところで最近、若い女の子に人気なのが「カラーだるま」。小さくて部屋のインテリアにもなるからなのでしょう。

では、だるまの蘊蓄話パート2。そうして買って帰った「だるまの目玉」どうしてますか?

近頃は目の傷害がある人に失礼だから、両目を描き入れておくべきと主張する人もいるようですが、本来は願いを込めながら片方に目を描き、願いが叶ったらもう片方にも目を描くのが古来の伝統です。

右の目から?それとも左の目?特別な決まりはありませんが、右(つまり、だるまの左目)に目入れをするのが一般的で、反対の目には「叶」という字を書いておくという地方もあるようです。

だるま市

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DSCF3733.jpg1月18日は恒例の「だるま市」がありました。

だるまの売り子さんと話をしましたが、縁起物だから「前の年より大きなだるまを買うべし」「値切っては御利益が薄れる」という話を聞かされましたが、これは商売人の言うことですから、話半分くらいに聞いた方がよいでしょう。

主要生産地である高崎市の小林山七草大祭だるま市は、1月6日から7日にかけて夜通し開かれるのだそうで、こうした売り子が「昨日は前橋、今日は伊勢崎、明日は足利」といった具合に転々として、初市をにぎわせるのです。

というわけで曜日は関係なく、「館林は1月18日開催」と百年!近く前から決まっているのだそうで、驚きですね。

初詣

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DSCF3717.jpg「長良神社」における、平成23年の初詣の様子は先に紹介しましたが、一眠りをしたのち元旦の昼間は尾曳稲荷神社に行きました。

「長良神社」「尾曳神社」ともに館林七福神に数えられる郷社です。

長い参道に2百人くらいの人が並んでいて、お参りをすませるまでに40分くらいかかってしまいましたが、日頃散歩するコースの中心に位置していますので、除災招福と学問成就をしっかりお願いしたのです。

DSCF3720.jpg館林地区の消防組合ですが、この組合には館林市、板倉町、邑楽町、明和町、千代田町の消防署員と、団員、婦人消防、鳶職組合が組織されており、出初式には消防自動車45台と組織員800人ほどが参加しました。

写真は東広場での公開イベントの後、組織員と消防自動車による閲覧式。消防署員によるパレード生演奏がステキでした。

なおYouTubeで館林出初式の動画が、SAITAMA119さんによりアップロードされていましたのでご覧ください。

http://www.youtube.com/watch?v=FjKxO4R9lls

消防出初式

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DSCF3389.JPG1月8日はいつもの市役所東広場で、館林地区の消防出初式がありました。

かつて「出初式」といえば梯子乗りの演技が定番で、幼い私は目の前で繰り広げられる曲芸?にドキドキしながら目をこらしたものでした。

こうした伝統の梯子乗りも披露されましたが、圧巻は梯子車と消防車による七色の放水だったでしょうか。

放水の直後にハトが放たれたりして、華やかな演出に周囲からどよめきがおこりましたが、私はハトが「ずぶ濡れで飛べなくなってしまうのではないか」なんて、いらぬ心配をしました。

何と滝が!?

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DSCF3690.jpg東京タワーや冒険砦などがある、つつじ町の『電飾の城』ですが、イルミネーターである邸宅の持ち主と露天風呂に入りながら、いろいろなお話をうかがうことができました。

「毎年11月頃になるとLED電球を引っ張り出して、飾り始めるんですよ」

「今年は何を造ろうかなあなんて考えながら、完成まで1ヶ月くらいかかるけど楽しい」

「費用?そうだなあ・・高級車1台分よりハッキリかかったけどね」などなど。

得難い機会ですから別の浴槽にも入らせていただきましたが、ここでもビックリ。何と!そこには高低差3メートルくらいの滝が存在していたのです!?

水と緑は豊富ながら、海や山・温泉はないという平坦な館林ですが、それを「我が庭に実現してやろう」という驚くべき趣味人が、私の身近にいたのです。

電飾の露天風呂

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DSCF3691.jpgつつじ町にある『電飾の城』をじっくりと眺めていましたら、イルミネーターのおじさんから「いま、露天風呂にお湯を溜めているんだけれど、入りに来ないかい?タオルと水泳パンツを持っておいで」と誘われました。

すぐそばが城沼市民プールです。夏にはタオルと水泳パンツを持ってよく通った道ですが、真冬のつつじ町なのにそれが役に立つという事態の進展に驚くやら、うれしいやら・・・

とはいえ、こういう趣味人と趣向は大好きなので、さっそく準備をして『電飾の露天風呂』を堪能させていただきました。

温泉施設のない館林で、光またたく露天風呂に入れるとは!何とも贅沢な一夜でした。

イルミネーター

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DSCF3685.jpg「イルミネーション」とは、電球など淡い光の配置を組み合わせて、夜間の風景を創り出す光の芸術のこと。日本語で「電飾」と表現されることもありますね。

クリスマスが近づく頃に、東京・渋谷区の表参道並木に灯されるイルミネーションが有名ですが、かつては白熱電球を用いていたので、「長い期間さらされる熱によって街路樹が傷んでしまうことが悩みの種」だと聞いたことがあります。

個人で電飾を楽しむ人を見かけるようになったのは、ここ数年LED電球が普及し始めてからのことで、こうした人たちが「イルミネーター」と呼ばれるようになりました。

写真はつつじ町に存在する、館林で最大規模のイルミネーション。

『電飾の城』と表現するべきでしょうか。

暖かな家庭

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DSCF3651.jpg夜に買い物に出かけたときのこと。右に曲がる路地の奥から街灯と違う暖かい種類の光を見つけました。

興味を覚えて近づいてみると、家庭の木々に飾られたLED群のイルミネーションでした。

場所は第三小学校の近く。たぶんお父さんが自宅の子供たちばかりか、小学校から夕方に帰る学童たちをも喜ばせてあげようと、イルミネーションで飾ったものなのでしょう。

LED電球は今までの電灯より耐久性があり、消費電力も大幅に安い未来の電灯なのですが、現在のところは「かなり高価」という欠点もありますが、こんな使い方なら心までも暖かくなりそうですね。

ロコモーション

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DSCF3681.jpg深夜に館林駅を降りて、「今夜は暖かいから、タクシーではなくゆっくり歩いて帰ろう」なんて気分になる日もありますよね。

駅前から館林市役所に続く街路樹のイルミネーションもすてきですが、「明日は休日だし急ぐこともない」という気分のときは、第二小学校手前のロコモーションのベンチに座り、自動販売機の缶コーヒーで身体を温めるのも一興です。

このスペースと照明は、館林青年会議所と館林ロータリークラブの提供によるもの。写真をクリックして拡大すると、寄贈者のクレジットがハッキリと見えてきます。

館林駅前通り

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DSCF3677.jpg館林駅到着の最終電車についてふれましたが、東京から館林駅に到着するためには、かつて宇都宮線「赤羽駅」22時30分、東武伊勢崎線「北千住駅」22時15分というのがリミットでした。

新宿・歌舞伎町で仲間と(打ち合わせという名目の)飲食をしていて、赤羽発や北千住発の最終電車に乗るためには21時30分頃(午後9時30分頃)には席を立たないと間に合わないわけで、「付き合いの悪い奴」という汚名を容赦なく浴びせかけられたものでした。

それが今では23時という宇都宮線・新宿発に乗れば、久喜で乗り換えて、0時28に館林駅に着くというのですから、何と!1時間半も終電時刻が延びたのですから驚きです。

ところで、写真は深夜の駅前通り。私の実家も右辺に写っていますが、街路樹に掲げられたイルミネーションが深夜の乗降客を癒しています。

深夜の館林駅

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DSCF3672.jpg仕事のため東京に出かけると、仲間とついつい深酒してしまい、かつては終電に乗り遅れることもしばしばでした。

ところが最近の東武伊勢崎線は、館林までの終電時間が大幅に延長されたのです。館林周辺から東京への通勤客が増えたからなのでしょうか?いずれにしても、宵っ張りの私にとってはありがたい限りです。

深夜の館林駅に着くと、様変わりが2つあります。1つは深夜移動のお客さんを数多くのタクシーが待っていてくれること。

もう1つが華やかなイルミネーションが出迎えてくれることです。写真中央の紅い電球群は、おそらく館林の「つつじ」をイメージして遠来の乗降客をなごませてくれるのです。

神輿初め

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DSCF3666.jpgこの長良神社の神輿渡御には、館林中の神輿好きが集まります。

神社裏手にある法泉寺の除夜の鐘が聞こえる中で、担ぎ手が次々に代わって、神社に模した神輿を渡御します。

年が改まる5分前に担ぎ納めをし、午前0時の新年の合図にて、宮司の「元旦祈願」に一同が心を合わせるのです。

こうして0時5分からまた神輿渡御が始まります。神輿は各地区の睦が誰でも参加することができ、これが「神輿の担ぎ初め」。

これを見に来る初詣の客も多く、代官町の長良神社の風物詩となっています。

長良睦会

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DSCF3656.jpgなにしろ館林でもっとも卒業生の多い第一小学校と、第一中学校を神域に持つ長良神社ですから、境内を通学路や遊び場にした・・・などの思い出を持つ昔の暴れん坊が多いのです。

「神木の木登りをして宮司に叱られたことがあったなあ・・」これは私です。

そんな「長良神社に思い入れのある」連中が長じて長良睦会を創りました。

館林まつりにおける神輿渡御(みこしとぎょ)で知られている睦ですが、大晦日から新年にかけての渡御も見もの。大晦日の23時30分くらいから、長良様に神輿の奉納をして親睦を深めながら担ぎ納めするのです。

代官町碑

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DSCN1719+1.jpg商店街から長良神社に向かう道の右側域に、第一小学校があります。

館林で最も歴史のある小学校で、1873年・明治6年(何と138年前!)に開校され、「邑楽第一小学校」と呼ばれた時期もあるほどの伝統校なのです。

私が子どもの頃は「館林北小学校」ゆえに「きたしょう」もしくは「きたこう」と呼ばれていたのですが、昭和41年に「館林第一小学校」と改称して、今に至っています。

鎌倉時代から室町時代にかけての館林の創成期には、長良神社の広大な神域であったのでしょう。

江戸時代には代官が居住したことから「代官町」との名がつきました。道に面した第一小学校の一角には、写真の「代官町碑」が建っています。

これが館林に30ある「旧町名碑」の1つなのですが、何と!代官町とお隣の台宿町だけは、館林の大規模な町名変更の波に呑まれず、今も江戸時代の町名のままなのです。

長良神社

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DSCN1718.jpg館林第一小学校と第一中学校に隣接した地域に『長良(ながら)神社』があります。

長良神社の祭神は、平安京より東国平治のために遣わされた「藤原長良」公(802年~856年)で、長良公は東国にあって民を哀れみ、貧を救って仁恵を施したと伝えられています。

京に戻った長良公は位を極め、正一位・太政大臣を贈られており、陽成天皇の外祖父となっていますから、まさに「雲上人」でした。

『長良神社』は鎌倉時代の領主と思われる「赤井良遠」が、京の春日大社から佐貫の荘・長柄の瀬戸井村(現・千代田町)上の森に勧進したと伝えられています。

赤井氏は佐貫一族の出自であり、遠祖が藤原であったことから、長良(一説には「ながよし」)公を祭神とした神社を建立したものと思われます。

そのような理由で佐貫の荘(現在の館林・邑楽地区)には、長良神社の分社が数多く造られており、この代官町にある長良神社は社域の広さと社殿の壮麗さから、館林・邑楽地区における代表的な存在です。

初富士

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DSCF3695s.jpg元旦の『初日の出』が登り切った頃、ふと右(つまり西南の方向)に目を転じると、何と富士山が見えていました。

『初日の出』に加えて『初富士』まで拝めるとは、今年は何とよい年なのでしょうか!

館林から富士山を望むには、同じ方向の埼玉県熊谷地区と東京都多摩地区の上空が澄んでいなければなりません。ということで近年は館林から富士山が見える機会も少なくなったのですが、正月早々ラッキーなことでした。

ちなみに「気温が低く、おのずと空気中の水蒸気濃度が下がる冬の方が見通しがよい」ものだと理科の先生に習った記憶があります。

加えて正月で排気ガス濃度が薄かったことが原因だろう・・・などと蘊蓄を語るより、単純に「新年早々縁起がよい。今年はよい年になるぞう・・」と喜ぶ自分の方がカワイイ。

東洋大学板倉

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DSCF3704.jpg私の自宅付近から東方向をうかがうと、初日の出が近くにある住宅の陰になってしまいますので、デジカメを片手に自転車で東へ東へと移動しました。

お隣の板倉町泉野地区にある「いずみの公園」の橋上に至った頃、東南東の地平線から太陽の光がほの見え始めましたのでカメラを構えました。

遠くに見える人家の向こうから、午前6時55分に陽光が見え始め、初日の出がおおむね姿を現したこの写真。シャッターを切ったのが午前7時1分でした。

ちなみに『日の出』の定義、正しくは「太陽の上辺が地平線に接する瞬間」ですから、人家の高さ分を考慮に入れると「館林地方の初日の出は午前6時53分」くらいだったと思います。

ちなみに、初日の出の右に見える建物が「東洋大学板倉キャンパス」です。

初日の出

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DSCF3703.jpg明けましておめでとうございます。

この『館林散歩』ブログを、群馬県の視聴覚コンクールに出展する関係で更新を控えていましたが、この作業もひととおり終わりましたので、年末年始に撮り集めた写真を順不同でどんどんと公開します。

まずは『初日の出』ご来光の写真。

日本の元旦はたいていの地域で天候が悪く、「ご来光を仰げなかった」というブログのコメントが飛び交っていたようでしたが、北関東だけはラッキーなことに『初日の出』が拝めました。

天童市から応援

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DSCF3585.jpg館林市と山形県天童市は「観光物産交流都市」という協定を結んでおり、11月19日の館林産業祭には天童市からの応援もありました。

天童温泉はいまや東北一の集客を誇る温泉街になっています。

ラフランスなどのめずらしい果物を産出するかと思えば、手作り将棋の駒の全国95%を産出し、山寺の玉コンニャクが名物という古くて新しい不思議な町。

「紅葉の秋」は天童温泉にとって絶好の行楽シーズンということで、天童スタッフの参加は少なかったようですが、その分を館林の「フラワーレディー」がにぎやかしてくれました。

イスを作ろう

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DSCF3565.jpg「館林産業祭」のイベント中で、もっともお客さんを集めていたのが『イスを作ろう』のコーナーではないでしょうか?

青いビニールシートの上で、何組もの親子が一生懸命カナヅチやノコギリを動かして、木片と格闘しています。

目標は「自分専用のイスを作ること」。微妙な調整や、クギを打ち込む位置はお父さんやお爺ちゃんに教わりましたが、1時間ほどで立派なイスができあがりました。

仕上がったmyイスを抱えて、産業祭の会場を見物・巡回する少年たちの誇らしそうな顔!6歳の秋に作った産業祭のイスのことは、一生忘れないでしょうね。

沼田市の応援

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DSCF3581.jpg館林の産業祭に思わぬ助っ人が現れました!同じ群馬県にある沼田市の応援です。

沼田市のブースは、「あゆの塩焼き」「りんご」など館林では産出しないものばかりが並んでいて、お客さんでにぎわっています。

考えてみれば、館林市は関東平野の隅に位置して、埼玉・栃木・茨城と隣接しており、沼田市は自然の宝庫・尾瀬の入り口。

さらに「板東太郎」と呼ばれた利根川の源流地域であり、文豪・川端康成の代表作『雪国』によって「国境の長いトンネルを抜けると、そこは雪国だった」と描かれた新潟県との隣接地域ですから、採れる川魚も、果物も館林とは大きく種類が違っているのは当然のことなのですね。

ちなみに、沼田は関東一のリンゴの産地。冬になると、秋に収穫したリンゴを雪の下に埋めて保存することが風物詩で、ニュースの時間にご覧になった方も多いのではないでしょうか?

ja138.jpg昭和29年4月のこと。かつての邑楽郡の中から、旧・館林町に隣接した7か村が合併して「館林市」ができました。

自動車が普及して地域間の時間差が少なくなった昨今ですから、今度は「館林市が邑楽郡全部と合併する時期に来ているのだがなあ・・・」というのが私の意見です。

この写真はJA西邑楽まつりの花卉即売コーナーですが、同じ邑楽郡の明和町名物シクラメンを紹介するコーナーに似ていますよね。

邑楽・館林は歴史的な縁が深く、産業的地域構造も酷似しているのですから、私は「邑楽・館林は一衣帯水。合併するべきだ」という声をこのブログでささやかなながら上げ続け、それを主導する役割をJAに大いに期待しているのです。

ja136.jpg館林邑楽地区は「群馬の米倉」といわれている地域ですから、JAかつての農協のおまつりは一大イベントになります。

邑楽町産業祭の日取りが明和町と重なってしまいましたので、私は邑楽町産業祭を楽しむことができませんでしたが、翌月の12月11日にJA西邑楽まつりがありましたので、たくさんの写真を撮りました。

歴史カテゴリーの中で「館林邑楽はかつて佐貫の庄と呼ばれていた」と記しましたが、それ以前の平安時代の資料に「オハラキ」「オホアラキ」との記述があるのです。

元々は「大荒木」と呼ばれていたようですが、大宝律令で「地名は縁起のよい漢字2文字で表すべし」との命令が下ってからは、「邑楽」の文字を用いて「オハラキ」と読ませ、やがて「オウラ」という呼称に統一されたという経過があるようです。

館林ミツカン

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DSCF3589.jpg戦後の高度成長期に育った私にとって、『ミツカン』といえば「100%醸造酢はミツカン酢だけ」という企業メッセージを思い出します。

いまも日本酒には「醸造用アルコール使用」という表示があるものが多く、日本酒は工業的に作られたものが多すぎる・・・これを見直そう・・・ということで、ひととき純米吟醸酒ブームがおきたりしました。

日本酒をさらに発酵させると何になるかご存知ですか?お酢になるのです。この製法をいまの自然食ブームがおきる数十年も前から、頑なに守ってきた「ミツカン」社には、先に述べた事情により感心していました。

そのミツカンが工場を建てて館林に進出してくれたこと。『館林ミツカン』には感謝感謝です。

ところで、その館林ミツカンが何を作っているか?私は長く知らなかったのですが、産業祭で数多くの「鍋のつゆ」展示品を見て、ゆっくりながら「自然と共生して成長する」館林とコンセプトが一致する企業なんだなあとの印象を強くしました。

ブルドックソース

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DSCF3587.jpg渡良瀬川に近い大新田町という地域に、「ブルドックソース」の館林工場があることはよく知っていましたが、どんなものを作っているのかまったく知る機会がありませんでした。

館林産業祭でのあるブースに「ブルドックソース」と書かれたコーナーがあったので、さっそく行ってみるとビックリ。

「お好み焼」「月島もんじゃ焼」「たこ焼」といういま話題の食材。このタレばかりではなく、家庭用の材料セットまで館林で作っていたのです!

こうした産業と住民との間にかける、新たな架け橋を築いてくれることも「産業祭」の意義の1つなのでしょうね。

吉田養蜂園

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DSCF3571.jpg館林で採取している「はちみつ」を、実演即売しているコーナーがありました。

足利方面に向かって散歩すると、「はちみつ直売」と大書したカンバンをよく見かけていたのですが、これが『吉田養蜂園』でした。

おいしい「はちみつ」を採取するためには、新鮮な花が必要だという程度の知識はあるのですが、足利との県境・渡良瀬川付近には、まだそうしたミツバチを引き寄せる新鮮な花が群生しているのでしょうか?

後日改めて突撃取材を試みたいと思いますが、『吉田養蜂園』のアカシア蜂蜜を直接購入できるサイトが見つかりましたので、紹介しておきます。http://item.rakuten.co.jp/yonebun/852203/

花山うどん

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DSCF3566.jpgお隣の明和町や邑楽町の産業祭に続いて、館林市の産業祭が11月19日市役所周辺の臨時会場に行われました。

昼近くに行ってみると、「地元の特産品を楽しもう」という人で大にぎわい。

館林の名産といえば、何といっても「うどん」ですよね。館林には『花山うどん』と『館林うどん』という、2つの老舗うどん店があって、よき館林みやげとして知られています。

写真は『花山うどん』のブースで、この日は持ち帰りのうどんが100円!そして新たな館林B級グルメとして育てたい「分福茶釜の釜玉うどん」が、250円で味わえるとあって長蛇の列が続いていました。

青空歌声喫茶

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DSCF0336.jpg「芸術の秋」とくれば、何といっても音楽が代表選手ですよね。

『歴史の小径』を歩いていましたら、武鷹館から楽しそうなアコーディオンの音色と歌声が聞こえてきました。

さっそく館内に入ってみると、青空歌声喫茶が開幕されていました。温かい麦茶をいただいてから、遠慮なく席の中央に移動してシャッターを切ったのがこの写真です。 

DSCF3553.jpg鶴生田川の周辺地帯は湿地だったことを紹介しましたが、このあたり以前は「下町」という地名で呼ばれ、川が大雨や台風でよく氾濫したものでした。

その対策として護岸工事が何度も行われ、今では洪水することもなくなりましたが、川はコンクリートに囲まれた味気ない風景になってしまいました。

そこで市民グループは、年に2回子供たちの参加を募ってプランターを作り、すべての護岸補強橋に飾ることにしたのです。

写真右が寒さに強いパンジーのプランター。このプランター作りに参加した子供たちに豚汁がふるまわれ、鶴生田川の美化に努めた思い出として手こぎボートによるささやかなセーリングを楽しんでもらうことが習わしになったのです。

親水イベント

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DSCF3555.jpg館林市の町中を走り、城沼に至る「鶴生田川(つるうだがわ)」は、商店街で生まれ育った私にとって思い出のいっぱいの川です。

市街を貫いているため、残念ながら生活雑排水の流入があり、城沼は群馬県で1番汚れた湖沼という不名誉な記録を作ってしまったこともありました。

でも、私のお祖父ちゃんたちは「ワシが子供の頃は鶴生田川で泳げたものじゃ」と、鶴のいる清流だった川を懐かしがったものです。

「生田(うだ)」は京都などでは宇田、宇多と書き、湿地を表します。お隣・太田市にも鶴生田町という地名があり、こちらもかつては鶴の遊ぶ湿地だったようなので、祖父たちが鶴生田川で泳いだ話は本当のことなのです。

古典芸能のつどい

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DSCF0312.jpg11月3日文化の日。この日の「三の丸芸術ホール」では、『市民古典芸能のつどい』が行われていました。

館林には謡曲、仕舞、吟詠、剣詩舞など、江戸時代から引き継がれた多くの古典芸能のサークルがあり、1年でもっとも大きな発表会。晴れの舞台です。

友人から「入場無料だし、ぜひ見に来てね」と誘われたので足を伸ばしたのですが、入り口でプログラムを頂戴して正直驚きました。

何と61!ものグループの参加があり、演目がギッシリと詰まっていたからです。館林にはこんなにも多くの古典芸能のサークルが日頃から活動していたのですね。

写真は男女混合グループによる『謡曲』。能の詞章だけを謡う芸事。立派な舞台設定にマッチし、とても荘厳な感じがしました。

文化の礎

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DSCN2241.JPG芸術ホール前には『開けゆく文化の礎三の丸』という「館林かるた」の碑が建っています。

江戸時代にこのあたりは城の三の丸があった所ですが、明治初期に館林町の半分ほどを消失させた大火事により、焼け野が原になってしまいました。

そこで広大な空き地を再活用して、現在では市役所、文化会館、図書館、芸術ホール、資料館、イベント広場、駐車場・・・などが配置され、館林の文化発信の礎になっているのです。

ちなみに、道路を隔てた向かい側には『夢はるか二十五万石綱吉公』という、かつての館林城を読み込んだ碑が建っており、この周辺を1キロほど丹念に散策すると、10基ほどの館林かるたの碑を目にすることができます。

三の丸芸術ホール

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DSCF0315.jpg館林でもっとも収容能力のあるイベントホールは「文化会館」で、1000人以上の観客席がありますが、私が参加・観覧する機会が多いのは「三の丸芸術ホール」です。

観客席が500人強と十分なキャパシティーがあり、その割に施設利用料も安価らしく、友人たちの演奏会や発表会はここで行われることが多いのです。

ロケーションも市役所に近く、図書館や文化会館の正面と町の中心部にあり、駐車スペースもたっぷりという環境にあり、このあたりが公共の施設のありがたいところですね。 

懸賞詰将棋

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ブログ詰将棋.jpgこの『館林散歩』ブログは、月刊紙「ポンポコぽん」でも紹介されています。

つるの剛士さんの話題で将棋の話が出ましたし、お正月も近いですから、懸賞詰将棋を出題しましょう。

「詰将棋」というのは、王手王手の連続で相手側の玉を詰めるクイズです。

「詰める」というのは相手玉を動けなくすること。この状態で勝負の「勝ち」が決まるので、将棋の終盤の練習にはもってこいであるばかりか、「パズルクイズ」として「指し将棋以上に好き」というマニアもいるくらい。

この問題は5手詰め。「最近指していないけど、子供の頃は友達と将棋を楽しんだよ」という方が熱心に取り組めば、きっと解けることのできるレベルです。

ヒントは『捨て駒で守りの金を無力化する』です。がんばってください。

つるの剛士と将棋

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KIF_0381.jpgタレントの「つるの剛士」さんが、館林に将棋を指しに来たことがあります。

CS放送で放映されていた『つるの剛士の道場破り』という名前の番組で、つるのさんが台宿町にある「日本将棋連盟館林支部道場」通称「福島道場(TEL0276-73-0326)」に道場破りにやってきたのです。

この頃のつるのさんは、ウルトラマンダイナの主人公役でデビューし、深夜番組のパーソナリティーとして知られた存在でした。

一方で熱心な将棋ファンとしても有名で、北関東地区の将棋道場を私・マリオ武者野と一緒に巡っていたのです。

館林といえば「上州のかかあ天下」ということで、六郷公民館の将棋サークルで毎週腕を磨いている平野さんと対戦することになりました。

戦いは一進一退の好勝負。大盤解説を見守るファンが手に汗握る大熱戦となりましたが、最後につるのさんが詰めを誤り、平野二段の辛勝するところとなりました。

この道場破りシリーズの少し後に、つるのさんは「クイズ!ヘキサゴン」の常連出演者となり、大ブレークしたのです。平野さんの家には、この番組のビデオ映像が家宝として大切に保管されていることでしょうね。

明和町の梨

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DSCF0349.jpg利根川沿いを中心に大きな工場が増えてきた明和町ですが、私のイメージの中で明和町を代表する物産は、いまも「シクラメン」と「梨」なのです。

東京に住んでいた頃、寒くなってくると「これって明和村(当時)から来ているんだろうな」と古里を思い、寒い中で花を咲かせてくれるシクラメンを毎年買ったものでした。

明和町産の野菜がたっぷり入った豚汁をごちそうになり、シクラメンが当たる抽選会にも参加しましたが、こちらは残念賞でした。

11月の声に秋風を感じ、「さすがに梨は季節外れなのだろうな」と考えていましたが、ありました!梨組合のブースが。

大きくて色つやのよい梨が並んでいたのは本場ならでは。おそらく産業祭に合わせ、ご苦労のすえ出荷時期を調整したのでしょうね。試食梨を頬ばるお母さんと赤ちゃんもうれしそうです。

明和町産業祭

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DSCF0348.jpg11月7日に「明和町産業祭」が開かれていると聞き、行ってきました。

会場は町役場駐車場。あわせて隣の「ふるさと産業文化館」では文化祭もいっしょに開催されていました。

特産農産物や、商工会による物品の展示販売、そしてここでも館林商工高校のオリジナル製品などの即売コーナーもあり、人人人で歩くのも大変なにぎわいでした。

テニス新人戦

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DSCF0308.jpg夏の大会シーズンが終わり、3年生が受験勉強に勤しむ時期となりましたので、スポーツ部の主役が1・2年生に移り、このところ「新人戦」が真っ盛りです。

新聞の群馬版に「館林1中のサッカー部が新人戦群馬大会で優勝」と報じられていました。来年はこの新人チームが3年生となり県大会を目指すわけですから、楽しみなことですね。

こちらは城沼総合公園の中のテニスコート。この秋の土曜日、テニスコートでは「邑楽・館林地区新人戦」が行われていました。

金網に張り付いて大きな声で応援している同僚たちが見えますか?写真の右側に隠れているのが本当の応援席で、こちらはお母さんたちでいっぱいでした。

ゲートボール

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DSCF3545.jpg一部では「補助金で建物ばかり作って、その後は使われていない」とハコモノ行政を批判する声もあるようですが、館林に限ってはその批判はまったく当たりません。

写真は城沼総合運動公園の「陸上競技場」ですが、市民体育祭が行われた翌日に、中学校駅伝大会が催され、その数日後にはゲートボール定例会が開かれていました。

写真を撮る私の後ろ側は、野球やサッカーもできる「多目的広場」なのですが、そちらでもゲートボールの競技会が行われていました。

出番が終わったのか汗を拭いていたおばあちゃんに話を聞きますと、練習をかねたミニ大会は週2日。定例大会が月1度あり、その参加者が毎回100人を優に超す!という大きな組織なのです。

後藤駿太

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DSCF3591+.jpgプロ野球のオリックス・バッファローズから1位指名を受けた、前橋商業高校の後藤俊太選手も産フェアの催しで館林に来ていました。

私の息子が友人たちと前橋商業高校のブースに行ってみると、ラッキーなことに後藤選手が座っていた。

そこで、おそるおそる広告の裏紙に「サインしてください」とお願いしたところ、書いてくれたのが写真の1枚というわけです。

こうなると「私も」「僕にも」と希望者が相次いで、前橋商業のブースは、時ならぬサイン会場になってしまったことはいうまでもありません。

◎追記、後藤選手は11月21日にオリックスと仮契約を結んだという記事が報じられました。「走攻守のすべてに秀でた選手」とオリックスの編成副部長のコメントがあります。順調に成長して、息子のサインの価値を上げて欲しいものですね。

ちんどんガールズ

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DSCF0390.jpg館林からホスト役として主に「産フェア」に参加したのは「館林商工高校」です。

館林商工高校は創立25年ほどの比較的新しい高校で、館林高校商業科などと合流して新設されました。

「館林商工」という校名があり、最寄り駅も館林の「茂林寺前」ですが、何と所在区分は邑楽郡明和町南大島にあります。

それくらい邑楽郡と館林市は一衣帯水の関係にあるわけで、私は「時間的距離が縮まったのだから、邑楽郡と館林は合併すればよいのに」といつも主張しています。

ところで、館林商工でいま一番話題なのは「ちんどんガールズ」。私は子供の頃、新規開業店を広報するチンドン屋さんが通ると、あの楽しい音色に誘われて演奏団をにいつまでも追いかけた記憶がありますが、チンドン屋さんが絶えて50年近くも経った頃、「こんな可愛い娘たちで復活するとは!」と驚いています。

産フェアぐんま

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DSCF0392.jpg産フェアぐんま(第17回群馬県産業教育フェア)が、11月12日・13日に館林市と明和町の会場において行われました。

実は私・・「産フェア」という催しを知らなかったのですが、中学生の息子に「明日は文化会館で産フェア見学の課外授業だよ」と聞いて、初めて「実業高校を中心とした県内発表会」であることを知った次第です。

普通高校を卒業した私は、今頃になって「五十の手習い」でパソコン検定とか簿記などのライセンス試験にチャレンジしているのですが、友人から「その資格なら、息子が商業高校の頃に取得したよ」なんて言われてギャフン。

産フェア見学から帰った息子も「普通高校の授業より、世の中に直接影響のある勉強をしていることが分かった」と話していました。

大道寺

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DSCN2225.jpg石町の常光寺から再び館林駅の方角に戻って歩くと、館林藩士が多く葬られている「大道寺」があります。

このお寺には、以前紹介した熱情の人「生田萬(いくた・よろず)」の父祖の墓があり、昭和46年に館林の指定史跡に選定されています。

生田家の墓石の斜め隣に「戸泉家累代の墓」がありますが、墓誌の筆頭に記された「戸泉鋼作」は明治初期より館林で青少年を対象に和算塾を開き、田山花袋の算術の師としても知られた存在です。

花袋は毎朝戸泉のもとで和算を習った後に、学校に通ったと伝えられています。

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